かずにぃの過去

かずにぃの過去に目を通していただき、ありがとうございます。

このページを開いたということは、少なからず「かずにぃ」少年に興味を持ってもらえているのでしょうか?

だとしたら僕はめっちゃ嬉しいです。

ここでは、もっと興味を持っていただけるよう少しばかり過去の話をさせて頂きます。

薄っぺらい人生だと思った時点で読み進めないで構いません。

ブログとは違い少し真面目な文章が続きますのでご了承ください。

では、あなたの貴重な時間を少しばかり頂戴します・・・

僕は5歳から18歳、小学校に入学する前から高校卒業までずっと柔道をやっており勉強そっちのけで柔道に青春を捧げていました。

こんなことをいきなり言うと説得力が全く無くなってしまうかもしれませんがあえて伝えます。

僕は青春を捧げた柔道で、全く成績が残せないまま終わりました。

せいぜい県大会で優勝、それも一度だけという程度の情けない結果です。

当時、自分の人生を柔道に費やしていたのでとにかく悔しい思い出がほとんどです。

柔道の強い人生だったら、どんな人生だったのだろうかとよく思います。

なぜ、悔しい思い出で終わってしまったのか。

それは、二度の大きな挫折が原因でした。

1度目は中学3年生最後の大会の成績

2度目は高校2年生の春に起きた怪我

この2つが大きな挫折になったのです。1つずつ説明します。

1度目の挫折、そして再起・・・

これまで中学ではまだ1度も全国大会に出場出来ていなかった中での最後の大会。優勝すれば全国大会に出られる大会でした。

結果は、過去最低のベスト8

今まで負けたことのない相手、前日戦って勝っていた相手に負けました。(柔道には「団体戦」と「個人戦」があり、僕の県では1日目に団体戦、2日目に個人戦というスケジュールでした。つまり、団体戦で勝って個人戦では負けたのです。)

全国大会どころか、関東大会にすら出ることが出来なかった悔しさは大人になった今でも忘れることはできません。

ここで僕は、柔道を辞め県立高校に行くために勉強を始めていきました。

しかし、どれだけ勉強していても頭の中は柔道の事でいっぱいでした。正直、高校も柔道にかけていきたいなと思っていました。

でもまたこんなつらい経験をするくらいならのんびり生きていくのもいいかなと、モヤモヤしているところに

なんと高校から、「うちに来ないか?」と声がかかったのです。

大会で何の成績も残していない僕のところに来るはずなんかないと思っていたので驚きと、喜びと、複雑な気持ちが脳内を駆け回っていました。

「ぜひ1度うちの練習に来てください」と言われたので、勉強の合間のリフレッシュも兼ねて練習に行きました。

久しぶりの柔道は、震えが来るほど楽しかったのを覚えています。

正直、何の為に生きているか分からなかったとは大違い。俺の居場所はやっぱり畳の上なんだと、また1からやり直したいという気持ちにさせてくれました。

そして練習後、監督と母と僕の3人で食事に行ったときに言われた一言は今でも僕の心の中にしまってあります。それは・・・

君は、スターになる

この言葉で、僕は高校3年間も柔道に捧げると決心しました。決めたときは全身が震えていました、ここが僕の居場所なんだと。

こうして、新たなスタートを切るのでした。

2度目の挫折、人生最大の怪我・・・

高校2年生4月、当時体重が60kgだった僕は、それでも団体戦の候補として重量級の相手と練習をしていました。そして100kg以上の相手と練習をしていた時、それは起きました。

僕が投げられ畳に横になったとき、僕の太ももに100kgの相手が落ちてきたのです。

その時、ボキっと枝が折れるような音がして道場が一瞬静まり返りました。

僕も一瞬何が起きたかわかりませんでしたが、次の瞬間太ももに激痛が走ったのです。

そして、自分の脚を見て何があったか分かったのです。

僕の太ももの半分から下が変な方向に曲がっていました。太ももの骨を真っ二つに折る大けがをしてしまったのです。

それまでも靭帯の損傷や多少の怪我はありましたがここまで痛いのは初めてでした。

すぐに病院に行き検査したところ、手術が必要で全治10か月と診断。

この時点で高2の柔道生活は絶望的になりました。

苦悩、そして転機・・・

手術後は精神的にも身体的にも苦痛でした。

この時の辛さはを今もまだはっきり覚えています。

病院で何度泣いたことか分かりません。こうしている間にも他の人は強くなっている、戻っても居場所はないと考え、もう柔道を辞めようと思うこともありました。

1ヶ月近く経ち、ようやく退院となったときは病院が恋しくなるほど入院生活に馴染んでいましたが、久しぶりに外に出たときは気分もリフレッシュし復帰に向けて頑張ろうと思いました。

しかし、本当に辛かったのはここからです・・・

練習は見学、やることと言ったらマネージャーの仕事や後輩の指導くらい。

これが、どれだけ辛いことかは怪我した人にしか分かりません

今まで、こいつにだけは絶対に勝ちたい、と思っていた同期の世話係のようなものですから

本当に辛かったです。

ただ1つだけ、そんな辛い生活の中でも嬉しいことがありました。それは、指導している後輩が強くなっているという事でした。

自分が強くなれない分、自分を頼ってくれる人をとにかく強くしようと思いサポートをしていた子達がメキメキ強くなっているのです。

そんな生活を続けること半年、10ヶ月かかるといわれたが、半年で復帰することが出来ました。

しかし、その半年で確信がついたのです。

それは・・・

自分は強くなれない

けど・・・

人を強くすることはできる

ということでした。

この、リハビリ時代にいろいろな選手の技術、体力、メンタルを観察していると

「こいつは伸びる」

「こいつは考え方を改善した方がいい」

「この人はもっと筋力をつける必要があるな」

というように観察力が格段に上がったのです。

それと同時に自分の今までの柔道人生を振り返ると、勝てない人と同じ共通点が何個も思い当たったのです。

身体面はもちろんのこと、スポーツに大切な精神面まで足りないものだらけでした。

その時は、悔しい気持ちよりもむしろ諦めに近いようなすっきりとした気持ちになりました。

俺は強くなれる器じゃなかったんだ。

しかし同時に、人を強くすることが得意だということに気が付いたのです。

それからというもの、僕はスポーツで勝つための勉強を、他の人の為に学びました。

生理学、解剖学、栄養学、さらには心理学まで

自分で勝とうと思って読んでいた本とは違い、スラスラ読め勉強できました。

そしてこの時、トレーナーを仕事にしたいと思ったのです(それまではずっと町の平和を守る警察官になると言っていました)

高校時代の辛い経験がなければ今頃パトカーに乗ってパトロールしていたかもしれません・・・

これが、僕のトレーナー人生のスタートとなったのです。

高校時代の成績は聞かないでください・・・

進学、そして就職・・・

それまで警察官になると言っていた進路相談で、トレーナーになると言い切り

専門学校に通い体の事を猛勉強し、2年かけて摂るべき資格を1年で取り終わり、当時通っていた学校ではこれまで取った人がいなかったアメリカ公認のパーソナルトレーナーの資格も取りました。

周りが遊んでいる間、全ての時間を勉強に費やしたのです。

2年間の猛勉強の末、あの有名なムッキムキのジムに就職しました。

フィットネスクラブで働くようになった後もたくさんの経験、失敗を乗り越えて今に至ります。

地元を離れ、知り合いが全くいない中での一人暮らし

仕事がなかなか覚えられず怒られる毎日

それでも何とかやっていけたのは、ご指導させていただいていたお客様や選手たちが成果を残し喜んでいる姿を見てこれたからです。

ここで少し余談ですが、僕の嫌いなことをお伝えしますと

僕は、「だらだらと人生を生きること」「時間を無駄にすること」が大嫌いで

とにかく1日1日何か成長していかないと気が済まない性格です。

自分で言うのもおかしいですが、僕は同年代の人より多くの経験をしているという自負があります。もちろん、仕事でも大きな挫折を繰り返しました。その話はまた後程・・・

話がずれましたが、お客様や選手ファーストの生活が自分にとって天職なのです。

これまでも、そしてこれからもこの生活を軸にしていきます。

今後は、活動の幅を広げより多くの方をサポートしていける仕組み作りをしていきます。

決意、そして願い・・・

最後になりますがなぜ僕がブログをはじめていこうと思ったかというと

僕と同じくスポーツで苦しんでいる、迷っている人たちの悩みを

同じ経験をしてきたからこそ共感でき、一緒に解決できるのではないかと思ったからです。

僕は約束します。

このブログを通じて、皆さんの悩みが解決することを。

ブログを読むことに費やした大切な時間を無駄にしないことを。

そして、人生の中で一度しかない部活動で

一番いい景色を見れるように

大舞台で家族や仲間たちの声援が聞けるように

100%の実力を発揮できたと実感できるように

僕のブログを見て、一人でも多くの人がそんな選手になれることを願っています。

~最後に~

長くともあっという間の僕の人生を読んでいただきありがとうございます。

少しでも気になってくれたならば

これからの活動について「かずにぃの未来予想図」にも目を通してみてくださいね。

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